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総会報告
関西支部総会に参加して 弘中伸明氏(第59期)から投稿をいただきました

関西支部総会に参加して

                              弘中伸明(第59期)

 

     

 

 関西に住むようになって35年程になりますが、今年、旭陵同窓会関西支部の総会に初めて参加しました。関西在住の第59期の同級生に声を数年前から声をかけてもらっていたのですが、なかなか都合がつかず、ようやくの参加になりましたが、他の約束と重なってしまい、懇親会の途中で退席してしまい西高OBOGの方々には大変失礼をしました。しかし、短い時間でしたが久しぶりの同級生との再会や示唆に富んだ特別公演、そして諸先輩方の生き生きとした様子などに触れることができ、良い刺激を受けることができました。

 この原稿の依頼を受けて、会報のバックナンバー等をHPで読んでみましたが、皆さん印象的な西高時代のエピソードや社会人になってからの活躍の様子を語っておられて、さて自分は何を書こうと安請け合いしたことを少し後悔しながら考えあぐねました。自分自身の西高での学生時代を振り返ると、長府中学の2年上の先輩に誘ってもらって入ったサッカー部もそれなりに頑張りましたが、他の先輩が会報などに書かれているように「没頭した」とは言い難く、一つ上の学年に倣って受験のために2年生のうちに引退してしまい、今にして思えば、結果はどうあれ他の高校に進んだ友人たちのネットワークを使ったりしながらもっといろんなことができたのではないかと思います。当時の顧問をやっていただいていた英語の山中先生は、生徒の自主性を重んじるタイプの先生だったので、なおさらそう思います。しかし、今でも当時の友人らと年に何回か下関や大阪で酒を飲みながら近況や思い出について話す時間は自分にとって大切な時間になっています。

 学校での成績についても、そこそこの成績をとりながら一年間浪人して北九州の予備校に通い、すでに大阪の大学に進学していた西高の3年先輩でもある兄がいたこともあり、大阪の大学に進学しました。進学についても将来の展望があった訳でもなく、大学在学中に不摂生が祟って体を壊してしまい、リハビリのつもりで始めた豊中市役所での仕事も気づけば今年で勤続30年になっています。

 就職してから数年前までは、年に数回程度下関に住む両親を安心させるためや、学生時代の友人に会うために下関に帰省していましたが、一昨年に両親が相次いで亡くなった前後には、親の入院先が東駅近辺の下関市立市民病院だったこともあり、一時期は毎週のように下関に帰省し、東駅の周辺を下商の教員をしていた当時の父と時にバスでの通学路を共にしたこと(普段は意識的に家を出る時間をずらしていました)等を思い出しながら歩いたものです。すでに下関の実家は取り壊してしまいましたが、海のまったくない豊中から下関に帰り海を眺めるとやはり落ち着きます。

 今年初めて参加した同窓会では同級生だけでなく上の代の先輩とも知り合いになり、後日ギターの手ほどきを受けたり、酒を酌み交わすことができて嬉しく思いました。以前ほど頻繁に下関に帰ることはもうないでしょうが、ふるさと納税で下関を応援したり、部活動で共に汗を流した旧友との再会や同窓会への参加を通じて下関と西高のことを自分のバックボーンとして大切にしていきたいと思います。

 

 






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